男鰥な映画-7……(ネタバレありません)

Solaris ソラリス……スティーブン・ソダーバーグ

 

 

小説も映画もSFというジャンルがお気に入りなんですが、

 

今ほどSF映画の評価が高くない時代(スターウォーズ以前)は、

 

猿の惑星ぐらいしか感動した記憶がありません。

 

スターウォーズのお陰で、リアリティのある大作が企画され、

 

高校の頃読んでいた「アンドロイドは…」(人生ベスト作品)

 

「我が友なる敵」(今観たらきっと大泣き)

 

そして「デューン砂の惑星」(ちょっと残念、再映画化希望)などが

 

映画化され、次はなんだと嬉しい時代になってきます。

 

「夏への扉」が今一番映画化を望んでいますが…。

 

 

 

 

そして「2001年宇宙の旅」(このタイトルは映画の内容を反映していないなぁ)

 

がリバイバル上映。テレビで夢中になっていた「謎の円盤UFO」の、

 

ストレイカー大佐がちょい役ででていたり、

 

最近では、宇宙飛行士が朝食テーブルでipadらしきデザインのモノを

 

見ているのも、話題になりました。

 

まるでNASAが未来に造るような、リアリティのある

 

木星探査宇宙船が映像化されました。

 

最近の高画質ディスクで見ると、壁が木製のハリボテだったり

 

細部はわりと作りが荒いのを確認できるのですが、

 

セットは理にかなった設計デザインで、ミニチュアの造りも素晴らしく


今でもささやかれている、アポロ11号の月着陸の捏造映像を、

 

この監督が撮ったと言われるのも、納得してしまうほどです。

  

 

 

 

話が最初からそれましたが、ビデオがレンタル出来るように

 

なった頃から、SF映画鑑賞の機会も増え、特に評判を気にするも無く、

 

SFを借り観まくりました。

 

そんな時出会ったのが、「ソラリスの陽のもとに」を最初に映画化した、

 

ソビエト作品の「惑星ソラリス」です。

 

ただ、この映画の印象は酷いモノで、2001年を模倣した

 

SFの名を借りたオカルト・ゾンビ映画じゃないかぁ…これは

 

宇宙船が舞台だけで、SFジャンルに入れたんじゃないかと。

 

そしてアメリカでリメイク。映像技術の発展で、特撮メインでSF映画を

 

選んでいた自分を恥ずかしいなと反省をすることになります。


 

 

 

前置きが長くなってしまいました。アメリカ版は、ソダーバーグ監督で

 

オーシャンズ11に続きジョージ・クルーニー主演のリメイクです。

 

二人ともオーシャンズ11で知名度が上がった翌年の作品です。

 

クルーニーはゼロ・グラビティの10年前に宇宙服を着てたんですね。

 

映画の内容はほとんど変わりませんが、

 

CGにより映像リアリティも格段にアップ、そして、なにより違うのが、

 

私が男鰥になっていることでした。鑑賞の真剣度が違います。

 

もう主人公になりきり、精神カウンセラーを受けるように見入りました。

 

 

 

 

やっぱり売れてきたクルーニーの、ヌードが見れるよって…

 

ポスターデザインでしょうか。日本版はSFとわかるようなデザインに


なっていますが、ベッドシーンだけではねぇ。


…私だったら上の二人のシーンの表情を使いたいなぁ


この映画は、死別の苦悩がテーマに思えるので、別れのシーンがいいかな。

 

 


ソビエト版のポスターデザイン。タイトルからデザインに凝る


グラフィックな仕上げ。映画を観た後ならア〜と納得なんですが。


 

 

映画の内容は、宇宙人(人型ではないので生命体ですね)との

 

接近遭遇なんですが、それによって地球人がワーワー騒ぐことも、

 

戦う(小さな戦いはありますが)こともありません。

 

あくまでも個人的な指針で物語が進みます。死に別れた大切な人が、

 

肉体という実態を持って現れるんです。実態です…触れます抱けます。

 

幽霊と違うんです。登場人物によって、その現れる実態がマチマチで、


その反応も違います。それがこの映画の考えさせられるところです。

 

 


ソビエト版のちょっと2001年を意識した宇宙船内部。でもイスが…


う〜ん、重そうで合理的なデザインではないですね。


 

 

クルーニーの反応も、最初と最後で変わっていきます。

 

それはダミーと解りながらなのか、そのダミーに新しい人格を

 

見つけたからなのか、本物ではないと解りながらもということで、


ラストシーンにちょっと秘密があるかもです。

 

ただ、このダミーは自分の記憶から生まれたモノ。

 

都合の良いように性格を変えることができるのかな。

 

 


ソビエト版では、当時建設された日本の首都高速が未来の舞台に…


日本語の看板が残ってるほどのやっつけ仕事?あるいは


日本がメインになる未来を予想してのことだったりして。


 

 

他人と、どれだけ親しくなったとしても、良好な関係が

 

小さな出来事で修復不可能になってしまう。あうんの呼吸で

 

お互いを理解するには、夫婦といえでも長い時間がかかります。

 

もう新しい出逢いとかには、疲れ切ってる身としては、

 

クルーニーのやりなおしたい気持ちがよく分かります。

 

もう一度観たら解釈が変わるかも知れません。スッキリと結末が決まるより、

 

こんな突き放された終わり方もいいですね。

 

 

 

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