雨の日と月曜日は

 

 

「雨の日と月曜日は」Rainy Days and Mondays は、

私が中学の時、カーペンターズが歌ってヒットした。

その時はさほど気にとめていなかったが、3年後に作詞者の

ポール・ウィリアムズが自信のアルバムに収録。

それを聴き、お気に入りの楽曲の1つとなった。

もともと好きな曲だったんだろうが、カーペンターズのヒット曲

というのもあり、へそまがりの私は格好つけていたのだ。

ポール感謝である。

 

 

そのポールが書いた、この曲の歌詞の一節を紹介すると、

「雨の日と、休日明けの月曜日は、憂鬱になるけど

誰かに愛されていると感じられるのは、幸せなこと…」

この辺はまだいいのだが、結局、曲の締めくくりは

「…しかめっ面をするだけで、雨の日と月曜日は憂鬱にする」で終わる。

破局?失恋の曲なのだろう。訳を読んでも今も分からない。

 

 

女性側の歌詞を、ポールが歌うのは変かも知れないが

英語のニュアンスが分からないので、どうでもよかった。

メロディはともかく、歌い方?声がいい。

ルックスは…イメージと違っていたが、アイドルじゃないしね。

 

 

そういえば、雨の日を、そんなに嫌だと思ったことはない。

どちらかというとインドア派で、絵を描いたり模型を作ったり、

幸い卓球も、雨が降っても問題なく競技が出来る。

いや、湿気で玉が多少重たく感じ、ラバーの引っかかりはも悪いから

雨の日はあまりやりたくないな。

 

 

出かけるときも、車で移動するので雨を特に気にすることもない。

贅沢なことだが、反面、雨具のコートとか傘などに興味を持てず

最近、残念な雨の日の過ごし方だったなと思い始めた。

 

 

あー 相合い傘で、ゆっくり歩いた記憶もないしなぁ…もったいない。

「じゃのめでおむかえうれしいな」と娘を歩いて迎えに行ったこともないか。

車で迎えに行っていたのだから、風情のないことだ。

 

 

 

歳をとると、欲とか執着心もやはり体力と共に衰えてくる。

 

目標を定めて、動こうとしても、楽な方へ舵をきる。

 

若い頃と時間の流れは変わっていないのに、着実に終わりが

 

近づいてくることを感じ、あせり、困惑して、余裕もなく、あきらめる。

 

雨の日と月曜日に、この歳をとった感覚を加えてしまう。

 

 

 

 

 

子どもたちが成人すると、親としての支えもほとんどいらなくなり

 

自身の存在意義もなくなったようで、毎日がなんとなく過ぎる時がある。

 

ポールの歌詞のように、誰かに愛されているという実感が

 

えられれば、この漠然と感じる不安もおさまるだろう。

 

 

 

 

 

小さな子供は、興味があると見るだけでは飽きたらず、すぐ触ってしまう。

 

口に入れたりもする。この行動は生きるための本能か好奇心か?

 

エビ・蟹を最初に食べた人がいた。人類は危険を感じながらも、

 

好奇心で行動することで生き延びてきたのだろう。

 

 

 

やはり雨の日は考えることも湿ってくる。

 

やまない雨はないと言うが、晴れてばかりでは作物のも

 

育たないし、土も硬くならない。月曜日がなければ

 

日曜日のありがたみも分からない。失うことにより

 

本当の大切さが分かるのだ。花粉症の季節が終わるころ

 

目薬を毎年なくしてしまうのだ。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=Q1ZzgtZx3yY

 

 

 

 

前ページ    次ページ